ここ数年のマンガとコミPo!

昔のマンガ(昭和)は漫画家によって絵に個性があった。 

今の漫画家でも、それなりに力のある人は個性がある。 

ところが似たような絵の漫画もかなり多い。 

これは2次創作(同人誌)から入り、その際に他の漫画を真似るためだろう。 

 

特に萌え絵となると、同じ作品内ですらキャラの判別が難しいほどになる。 

 

漫画の絵というのは、発明だと思う。 

そのキャラを創作するわけだが、その描き方は編み出さなくてはならないからだ。 

 

何気なく読んでいるが、漫画は誇張と省略が必要になる。 

写実的に描けばいいというものではない。 

だから、どう誇張し、どう省略するかが問題となるし、その際にどういう線で表すかも重要になる。 

 

背景もそうだが、オノマトペもかなりの発明だろう。 

オノマトペとは絵の周りなどに書かれる擬音のことだ。 

多くは実際の音を日本語的に表現したものだが、そうでないものもある。 

 

例えば広い引きの絵に、大きく「ドン」と入れる。(ワンピースで多くみられる) 

実際にはない音なのだが、効果的に見えるのだ。 

音のしない「しーん」や「ぎゃふん」など、実際にはない音なのに知っている音である。 

もし新しいオノマトペを発明したら、それが後世に残るかもしれない。 

 

こういった過去に発明された絵の描き方やオノマトペを使って漫画はできるのである。 

 

 

絵が似ているからと言って、面白さが同じかというとそんなはずもない。 

 

「ひきょたん!」という漫画は一見すると「ハルヒ」である。 

第1巻の帯に、 『涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流 担当編集者「いい度胸してるな・・・」』とある。 

そう思って原作のいとういのぢの絵を見ると、まったく違う。 

上手さが、だが。 

漫画版の方のツノガガクの方に似ているかもしれない。 

 

内容も含め、同人誌に毛の生えた程度の作品だが、こういうのが実際に多いのだ。 

 

 

似ていても手塚治虫と田中圭一が同じはずもないだろう。 

 

ただし、田中圭一は上手い。 

昔、「手塚先生、こんなの描いてんの?」と思ったら田中圭一だったことがあるくらいだ。 

 

「田中圭一最低漫画全集 神罰」という単行本がある。 

カバーデザインが「手塚治虫全集」のパクリだ。 

その帯には手塚るみ子(手塚先生の長女)のコメントで「ラ○オンキングは許せても 田中圭一は 許せません!!」とある。 

「訴えないでください」という本人コメントもあった。 

 

 

似たような絵の作品が多くなれば、同じ絵でもいいんじゃないかということになる。 

 

そんなバカなという人もいるかもしれない。 

試しにテレビドラマを見ていただきたい。 

特に2時間ドラマ。 

 

同じような人が違う作品に出ている。 

まあ、2時間ドラマなら内容や展開まで似ているほどである。 

殺人があって、犯人らしき人が実は真犯人ではなく、最後に崖の上で真犯人だと分かるのだ。 

同じような人で同じようなドラマを作って、それでも観る人がいるというのが現実なのである。 

 

ならば、同じ絵で漫画が描かれてもいいではないか。 

 

そう田中圭一は思ったに違いない。 

 

 

彼のプロデュースしたアプリに「コミPo!」というのがある。 

キャラは同じだが、それによって絵が描けない人でも漫画が作れるというものだ。 

 

目から鱗である。 

 

売れるかどうかは分からない。 

用途は同人誌らしい。 

キャラの関係で商業誌になると別に契約が必要そうだ。 

 

もしかすると、絵の描けない同人作家が増えるかもしれない。 


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